生きる気にならない。違う、生きる事に否定的なのではない。生きるに必要な行為を行なう気にならない。金を稼ぐ事を生きる為と思えない。生きた上での別の目標にしか思えなくてモチベーションが湧かない。死にかけた事が無いから生きる為に必要なんだと思えない。死にかけたい。人生が下手だ。

目標とか希望とか望みとか欲望とかその辺の感情を持つのが産まれてこの方ずっと上手にできない。自発的なやる気に繋げたり転換したりできない。学生時分なら、通学は義務、怠ってはならない、毎朝どれほど眠かろうが疲れていようが早起きしてテンションマックスだろうが絶対に通学しなければいけない。絶対に何時何分の電車には乗っていなければいけない。起床、リミットまであと何分だ。制服に着替えた、リミットまであと何分だ。朝食を摂った、リミットまであと何分だ。時計を見ろ時間を意識しろお前は追われている、追い立てられている。意識しろ意識しろ。遅刻は悪だ、休むのは悪だ、いけない事だ、悪事だ、禁忌だ。

遅刻した所で大した罰則があるわけではない。現に私は遅刻魔だった。改める気もなかった。何故そんなに時間を気にして毎日を過ごさないといけないのか、耐えられなくて遅刻を選んだ。学校は嫌いじゃなかった、通学、通学にまつわる色々が嫌いで怖くて嫌だった。何度も遅刻して、遅刻は悪だという意識をなんとか麻痺させないと通学できなかった。遅刻はよくないけれど気負わなくてもいいんだと自分に言い聞かせた。毎朝ホームルームの時間に教室の後ろのドアからヘラヘラと教室に入っていたが、その前に誰もいないトイレで嗚咽を漏らしていた。遅刻しない日は安堵感なんかは無く、ルールに追われる日々が続く事に恐怖した。

ルールとは遵守するもので破ってはならない。義務教育は文字通り義務だ。子供に対する義務ではなく、保護者の義務だという事は理解していたが。それでも小中学校に通うのは通例でありやはり義務だ。回避は出来ない。義務であれば遵守しなければ、どれほど怠い日も毎朝生気の無い顔で足を運ばなければいけない。一歩一歩進める毎に"〜〜しなければいけない"と強迫観念を意識する。高校へは進学しなかった。

学生を終えたなら働かなくてはいけない。義務だ。金銭を稼がなければいけない。生きる為ではない。社会人として大人として労働に勤しまなければいけない。"〜〜しなければいけない"はまだ終わらない。

労働は好きとは言わないが嫌いでもない。調理のバイトをした。鍋を振るのは楽しく料理を覚えていくのは嬉しかった。通勤は嫌いだった。学校とは違い、遅刻は同僚、客、色々な人にわかりやすく迷惑をかける。強迫観念は強くなった。また、勤労は義務だ。必要以上に休む事はよろしくない。週に2日の休みも多いくらいだ。働かなければいけない。生きているのなら働かなければ。週7日勤務もした。残業を頼まれれば受け入れた。3年程で辞めた。

反省し、適度に働き適度に休む事にした。相変わらず通勤は苦痛だ。だが頻度は下がっている。休日は心身をリフレッシュ、意味がわからない。休日は何も考えず何もしなかった。休日を休む日とは捉えられなかった。休日にただ生きているだけの一日こそが平日だった。基本の生活だった。追われない囚われない日が心穏かに過ごせる唯一だ。でも明日は勤務日だ。夜の何時までには寝て、何時には起きて何時には出勤しないといけない。囚われない日はどこにもなかった。

予定を楽しいと思えない。明日は友達遊びに行く、予定が発生する。明日はデートだ、予定が発生する。楽しいはずの予定も全部全部嫌になる。"今から"ならなんとも思わない。"いついつから"になると途端に嫌になる。

生きなければいけない。生きているのなら活動しなければいけない。働かなければ、金銭を稼がなければ、正しい生活をしなければ。人生を謳歌しなければいけない。人生設計を立てねば、就職し生計を立て結婚し子供を育て老後を考え養育を考え、先を見据え、先を、先を、先を。

健康的な私の身体は今日明日には死なない。死なないならば生きなければいけない、生きる事は義務だ。生きる義務を果す為に連鎖的に義務が発生する。人生は長い。

生きるのは楽しい。生き続けるのは苦痛だ。